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上海狂人日記  カメラ編   Flexaretのプリントを見て驚愕。 それからカメラ沼に嵌る。 日々是増殖中 目標100台達成!!!


by shangkato2

上海は混沌の世界にある 2

上海に赴任して半年。

ワタシの勤務する上海の西側の倉庫は街から離れているとはいっても、まだ上海の“西側”だった。
上海の黄浦江という川を挟んで西と東にわかれるので、浦西と浦東とそれぞれ呼ばれていた。
上海の西と東にそんな違いがあるかというと、昔は川の上流から死体が流れ着いたり、無縁仏を埋めるような土地だったということで東側は忌諱されていた。
それが浦東を政府が開発にするに従い、未来都市のようになっていき、万博がとどめを刺すように都会へと変貌をしたが、元から西側に住む人間からすれば悪い印象は拭えなかった。

会社には西側と東側とあると言ったが、東側は日本人は常駐しておらず、合弁先の運送会社から派遣された中国人T氏と日本語堪能なL氏が実質現場を率いていたのだが、そのL氏がO氏に愛想をつかして辞めることになった。いろいろいきさつはあったが結局辞めることになったため、そこにワタシが送られることになった。

元からO氏から、あそこは勝手なことしていると言われ、中国側合弁先から派遣されていたT氏なんてのは諸悪のの権現みたいに言われていたので、移動することに大変不安を持った。

しばらくは警戒しながら東側のスタッフ達とつきあっていたが、だんだん打ち解けて行くとO氏が言っていることと正反対で、特にワタシと一回りくらい年のちがうT氏はワタシを弟のように可愛がってくれた。
T氏は人民解放軍の補給部隊で従軍経験があり、その際に爆発事故に巻き込まれ、足に軽微ながら障害を残すことになったが、軍の福利には手厚い中国のこと、彼の持つ障害者手帳があれば飛行機とタクシー以外の公共機関はただで乗れ、通院も無料だということだったが、彼はそれを気にする風でもなく陽気に語っていた。

たった半年の付き合いだったが、数十年を共に過ごしてきたように思えた。
ワタシは2001年早々に会社を辞めたが、そのT氏もしばらくすると、先に辞めていたL氏と会社を作り、会社を辞めた。そのかわり彼はその東側の会社のスタッフを根こそぎ連れて行った。

会社を辞めても付き合いは続き、チェコに赴任してから、一度連絡をした。
2年くらい前にO氏と一緒に新しい会社をやっているL氏に連絡をするとO氏は亡くなったということだった。癌だった。亡くなる数年前に癌で入院したと聞いたが手術に成功し元気にやっていると聞いていたし、一緒に働いていたころの底抜けに明るい彼の笑顔が脳裏にあったから俄に信じることはできなかった。

そのメールを見ながら、しばらく涙が止まらなかった。

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Commented by wszystko_exakta at 2012-10-10 19:46 x
私も20代の頃、働いていた貿易会社や音楽事務所で色々な人間模様の勉強をさせてもらいました。さすがに教壇で直接生徒に話す機会はないのですが、教師としてのこやしにはなっていると思います。
Commented by 上海狂人 at 2012-10-13 10:30 x
>タラさん
20代のころの経験ってずっと影響しますね。
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by shangkato2 | 2012-10-08 22:51 | 雑記 | Comments(2)