『中国てなもんや商社』という小説がある。



とあるOLの奮闘記なのだが、日本と中国の文化的違いを表現しているだけではなく、そこで働く個性的な人物達との物語でもある。

実はそのモデルになった会社で働いていた。

小説で“パンダ課長”ということで出てきた“王課長”は当時ワタシの在籍していた部の部長。乱暴者だが便りになる岩田課長、彼は入社早々のワタシの上司だった。

留学先の中国から帰国し、しばらくは中華街でアルバイトしたり、中国人の手先として働いたり。思えばそれでも良かったかもしれないが、中華街の仕事は腰掛けと思っていたから、働きながらいろいろ就職活動をしていた。

その中国人の手先として働いて半年くらいして、某大手スーパーの子会社で中国専門の商社の人材募集を見つけた。早速応募し訪問すると、その日は4名が面接ということで浜松町の、某大手スーパー本社の前にあるビルの地下室で面接まで待たされることになった。

面接の4名の内、もう1名と面接までの間一緒に待ち時間を過ごした。
話をしていたら、彼はちょうどワタシと同じ時期に雲南省を旅行しており、96年の大地震の時に麗江にいたというから、同時期に大理で地震を感じた時に同時期にいたということだ。

入社が決まって出社したが、その彼の姿を見ることは無かった。

入社してすぐに受け渡し課という部署に配属された。
この部署は商社の海外貿易の実務窓口で、物流会社との窓口をする部署だった。
その部署の責任者が『てなもんしゃ商社』の岩田課長であり、M部長だった。
小説では多少まろやかに表現されているが、酒癖の悪い人で新入社員を酒に誘っては、その洗礼を浴びせることに快感を覚えているような人だった。というよりその余裕が持てない新入社員の頃はそう思うより仕方が無かった。なんどか彼の得意な少林寺拳法のパンチが側面の壁に炸裂するのを見ることになる。

3週間程度の勤務の後、営業部門に配属された。
アパレル部門でインンーウェア、簡単に言えばパジャマや部屋着、パンツやトランクスなどを扱う部署だった。その中でのニット部門で仕事することになった。直属の上司は1歳上の男性だった。
それがワタシの地獄の日々の始まりだった。

97年3月に入社し、4月に営業部門に配属、99年3月に退職した。

配属当初はまだ良かった。数ヶ月すると、その部署ではPM21時以降にならないと帰ることは出来ないことに気づくことになる。PM8:00をすぎると、その直属の上司の愚痴といびりが始まる。それをバックミュージックとしながら終電近くまで仕事を黙々とする。あるときは終電にも間に合わず、他部署の人の家族が迎えにきたので途中まで送ってもらうこともあった。

退職後聞いたことだが、他部署の人がワタシの直属上司に『なんであいつにそこまでするんだ』と聞いたそうだ。そうすると彼は『あいつは仕事もできない癖に周りの人に(特に女性)可愛がられている、それがむかつくから当たるんだ』と。それを聞いて辞めて良かったと思った。

ある時その会社の非常階段。忘れもしない6階。その非常階段から、ぼーっと下の地面を見つめると、アスファルトの道路の皺がひとつひとつくっきり見えた。『あーこのままあそこに飛び降りてもいいか』。

98年10月、結婚し、その前の8月に部署移動となったが、あまり居心地が良い会社ではない。精神的にいたたまれなくなり99年3月に退社することになった。

小説『てなもんや商社』は映画化もされ、主役は小林聡美、上記した王課長は、実際の人物とは見た目が全然違うが今をトキメク渡辺謙。娯楽映画としてそこそこヒットしたようだが、ワタシにとっては悪夢の日々だった。
今でも付き合いのある人がいるのは、そうは言っても中国好きな個性的な人がいたということでもある。まだこの会社は存続するが、在籍した頃からは規模も3分の1まで縮小されている。親会社のスーパー自体もじり貧の状態でもある。

またこの会社の人たちとあってみたい気はある。
個性で言えば今の会社の人たちとの比ではない。当時のワタシのスキルが足りなかったのだ。
連絡つかなくなった華僑のZさん、新潟でバーを営むAさん、、、

だが、あの直属の上司だけは今でも許すことはできない。いやサラリーマン的には仕方ないことだと思うが、感情的に許せないだけ。たぶん再会したとしても友好的に話はできないと思う。

それでも一度は会ってみたい気はある。
どんな顔してどんな話ができるのか。
なぜだか分からない。
彼とも、いまだからなにか話せるのかもしれない。

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by shangkato2 | 2012-09-30 23:52 | 雑記 | Comments(8)

我愛北京天安門

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*写真は今年友人が北京旅行してオリンパスPENで撮ったものである。


北京はワタシにとって大事な街である。

初めて暮らした海外だった。
よく考えれば実家を離れて暮らすのも初めてだった。

なんとなく教員試験を受け、漠然とマスコミでもと新聞社を数社受験したが、そんな適当で受かる訳も無く、来年大学院でも受けようと思いながら94年大学を卒業して、友人の紹介で中国書籍専門店でアルバイトを始めることにした。

仕事は本の在庫管理。営業から回ってきた伝票を元に、倉庫に行き営業に直接回したり、客先に発送したり、元から本も好きだし、好きな中国の仕事だから、このままこの会社で働き続けても良いかなあと思いながら、若かりし頃の勘違いで、こんなつまらない仕事で終わってはいけないと一方では思っていた。

アルバイトしながら大学の中国語授業や大学院の授業に潜り込んで勉強していたが、このまま大学院に行くとしても、生の中国を感じてみたいと思い、母校の先生に話してみると、北京の大学に知人がいるからどうだ?と言われ、ちょっと考えたが、お願いすることにした。

卒業直後に卒業旅行と称し、2週間ほど上海に旅行した際に宿泊したのが復旦大学だったこともあり、その際に知り合った方に留学したかったら相談にのるとも言われていたが、語学を勉強するという目的からすれば北京がいいだろう。

留学先は中央民俗大学。55の少数民族のための高等教育機関。天安門事件でリーダー格だったウアルカイシの友人が多く在籍していたそうだ。

大学の先生に紹介書を書いてもらい、入学申し込みを進めたのが、その7月末。そこから北京渡航する9月初までの1ヶ月間、なにをしていたかほとんど記憶が無い。

覚えているのは北京の空港に到着した後からのこと。そこからの記憶が濃厚に残っている。

薄暗い照明の、薄汚れた空港で到着したのは確か夜の10時くらい。白タクの誘いに注意しながらタクシー乗り場へ向かい、真っ赤なシャレードに乗り込む。
なぜか助手席にも誰か乗り込んできた。なにかヤバそうな雰囲気も感じながら、タクシーは市内に向かって行く。北京空港は市内からタクシーでも40分くらいかかる。暗い高速を走りながら、タクシーはすきま風を吹き込みながら環状線をおり、10分くらいで大学の正門についた。

小雨が降っていた。正門に到着しても、既に夜11時。
どこになにがあるかもわからないので門番のおにーちゃんに聞いてみることにした。
こちらもほとんど中国語はできないが、おにーちゃんは親切に留学生寮まで連れて行ってくれ、住み込みの担当事務官に話をしてくれた。

まだこれだけでは終わらなかった。
担当官はそんな留学生が来るなんて聞いていないと言う。それに部屋も空いていないとまで言うのだ。途方に暮れたが、とりあえずということで寮の入り口付近の部屋に住んでいる韓国人の大学院生と話をしてくれ、彼の部屋にとりあえず泊めてもらうことにした。

韓国人の院生は韓国人にありがちな横柄さはなく、温和で優しい人だった。
もし空き部屋が見つからなかったら、僕の部屋で同居でも良いよ、と言ってくれた。
中国の留学生寮は基本は2人部屋なのだが、院生は1人部屋が持てる。もちろんお金を出せば1人部屋でもいいのだが、空き部屋も無いので1人部屋にできるのは、院生とか年配の留学生くらいだった。

翌日事務官がいろいろ話をしてくれ、大阪外語の同い年のU君と同居することになり落ち着くことが出来た。

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いまさら何を思い出話をするのか。
中国も韓国も戦後最悪の関係になっている。もちろん人間の感情だから、こうした事情で悪感情になってしまうのは仕方が無い。だがワタシはいまでも中国が好きだし、あの時親切にしてくれた門番のおにーちゃんや韓国人のことは忘れない。これまで韓国人は政治問題を対人関係に持ち込むが、中国人はそうでもないと思っていた。たしかにその点では裏切られた感もないではない。しかしそうした連中の影に冷静に日中関係を、日韓関係を考える人はいるものだ。

“信用はしないが信頼はする”と言った人がいた。
対日本人だって100%信用できる人なんていない。ましてや外国人にたいしては信用して裏切られたからといって、それを責めることはできない。
だが人間関係は信頼関係で成り立つ。
国籍の違いで信頼関係が成り立たないなんてこともないのだ。

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この最悪の日中関係。逆にこれはチャンスだと思う。
もしこの期間をしのげば必ず好転する。
誰も中国に行きたくないならワタシが行こう。
実はこういう日中関係になってワクワクしている。
中国史を勉強しようと思ったのも受験生の頃に見た天安門事件の中国人の大きなエネルギーを感じたからだ。
ここ数年ヨーロッパかぶれのようになっていたがワタシの本質は中国なのだ。

北京がワタシにとって大事な理由。
もう一つあった。

かみさんと出会ったのがこの街なのである。

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by shangkato2 | 2012-09-29 12:17 | 雑記 | Comments(9)

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2008年の夏、ライカR4を手に入れた。レンズは35mm Elmarit-R, 60mm Macro, 135mm Elmarit-R, 35-70 F3.5 Zoomのセットだった。

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 R4、マクロエルマリート60mm,Provia100
“R4での初ショット”

それまではほとんど露出計がついていないようなクラシックカメラばかりで、この時初めて自動で露出を計測してくれる‘現代’カメラを入手した。
Flexaretから始めたカメラ遊びであるから、カメラの進化論を自分の時間の中でも進めなければならない。ようやくワタシにも進化の風が吹いたというべきか。
AEカメラの快適さに、不思議と感銘を受けた。今更デジタル、AFの時代にAEとはいえマニュアル操作のカメラというものに進化を感じるのもよほど原始人なのだが、それでもよほどAFカメラよりハイテクに感じてしまった。

特に、R4セットを購入後しばらくして28mmのエルマリートを入手してからR4使用の頻度が増加した。28ミリの大胆な描写と60ミリマクロの繊細な描写、もしかしたらこの2本だけで自分の写したい物は完結するんじゃないかと思った。

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Macro elmarit-R, TX400

あるときLFIのモノクロポートレートを見たときにレンズを見るとマクロエルマリート60mmだった。その描写はズミルックスで撮ったものより好感が持てるものだった。どうしてもこのレンズでポートレートが撮りたいと思ったがなかなかそんな機会はなく、あるときマイセンの記念行事のときに工房が開放されるというときに見学に行き、その中を撮ることにした。
とても満足する結果だった。

いまだに他のレンズが欲しいという気持ちもあるが、このR4というカメラ自体の感触と出来も良いのも
長く使っている理由の一つだろう。決してミノルタと同じではない。
ちょっと調子が良くないからボディを増やしたい。値段と使い勝手のバランスからR5あたりが良いかもしれない。高いだけのR6や6.2にはあまり興味ないし、R8あたりも格好よいが、R4からR5に連なるカメラの軽快さには叶わない気がする。

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by shangkato2 | 2012-09-25 00:27 | 古機巡礼 | Comments(10)

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チェコの写真家といえば定番なのだが、どうしてもJosef Sudekは外せない。
最初に知った写真家が彼であったのは幸せだったかもしれない。

いつだったかリベレツというチェコの北部、プラハから100kmほどのところにある大きな街だが、日系工場がその工業団地に数社進出しているので度々訪れていた。冬場は雪も多く、ナビのとんでもない指示に従って雪深い裏道に迷い込んだこともある。たしかスキーの世界大会が開かれたりするくらいだからたしかに雪国なんだろう。
その街のスクエアのちょっと外れたところに新書も古本も、それにアンティークもおいている本屋があり、そこでスデクの名作パノラマを格安価格で見つけた。といっても日本で20万するその書だから、チェコの物価からしたらそこそこ高い、6000コルナ、3万円ほどの価格だったが手持ちが無くてあきらめた。その書店はチェコには珍しく土曜も開店しているから、スクエアにあるレストランの美味しいケーキをエサにかみさんを、その週末に連れ出したときには既に売り切れたあとだった。

そんなこともあり無性にスデクの写真集を集めだした。

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パノラマが有名だからそれしか撮っていないのかというと、そういう訳でもなく大判メインでチェコの風景中心に作品を撮っている。中でも一番好きなのは、Suprahonというチェコのレコードレーベルの依頼でヤナーチェックの故郷を撮った写真集だ。パノラマに見られる緊張感とは無縁ののんびりしたチェコの田舎を写したいい写真集なのだ。

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クーデルカはwikiあたりだとフランス人だと書かれているが、正真正銘のチェコ人。プラハの春のソビエト侵攻を撮った写真家として有名で、当然その写真集が欲しいと思っていたが、帰国ぎりぎりまで、いつでも買えると思い直前に慌てたため買えず、このCikaniという写真集になった。

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Cikaniとはチェコ語でジプシー(ロマ)の意味で、60年代に東欧のロマを意欲的に撮っているドキュメント写真集。チェコに限らず東欧でロマ人は非差別階級で、信じられないくらいの差別を受けている。それをチェコ人のクーデルカがその中に入り込んで撮っている。近年はパノラマで社会的な写真を撮っているようでそういう写真も良かったのだが、この頃のギラギラした生命の貪欲さを味あわせてくれる凄い写真ばかりにただただ圧倒されたので結果素晴らしい写真を入手して満足している。

早く気づいてもっと買ってくるべきだった。


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ヤン・ライヒは現代チェコで最も美しい写真を撮る写真家と評されている。
スデクの直弟子と言われるが、実際はご近所同士だったので、自然と影響されたのが真実だそうだ。プラハ城近くに写真館があったらしいが結局行けずじまい。
2009年に亡くなられており、どこかですれ違っていた可能性もなくないが、そういうことにはならなかった。ワタシのチェコ滞在はどこか中途半端だ。
直弟子と言われる所以は伊達ではなく、実際にスデクの大判カメラのいくつかは彼が所有している。レンズはどこまでも繊細な絵が欲しいのでニッコールだそうだ。

是非大判に手を出したかったが、今となっては。
なぜか帰国後は写欲が激減してしまったから、今更新しいフォーマットに手を出しても使わずじまいの気がするからだ。

しばらくしたらまたチェコに再訪し、買えなかった写真集と、まだ満足に撮っていないチェコの大地を撮りたいものだ。そのときは日本から機材を持って行く必要は無い。
今度こそヤンさんの店で大判買って、スデクやライヒ気取りするのも良いかもしれない。
ヤンさんの店はスデクの御用達でもあるのだ。
それを知った経緯はまたなにかの機会に書こうと思う。

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by shangkato2 | 2012-09-17 22:49 | 古機巡礼 | Comments(12)


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最初にクラシックカメラを買おうと思ったのは、プラハのマラストラナにあるアンティークショップで飾っているのを見かけてからだ。
2007年の年末ころだったが、そのころはカメラも写真もほとんど興味がなかったが、デジカメが壊れたので来チェコする友人に一眼風デジカメを買ってきてもらった。当初はそれで撮った気になるくらいで充分だった。
フレクサレットを試しに1台購入し、当面は飾り程度にしか考えていなかったが、試し撮りしたのが運の尽き。プリント上がりを見て、その美しさにノックアウトされてしまった。

それからキエフを買い、そちらの写りもすばらしいものだったから、それから怒濤のカメラ買いが始まる。

ワタシのカメラ買いにも、しばらくすると規則的なものが出来はじめる。

当然のような路線で正統派ドイツカメラにハマること。
幸いそれほどライカにはハマらなかったが、ZEISS系、特にContaxにハマることになった。

もう一つはチェコのカメラを集めるということ。
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それがフレクサレットであり、このオペマだったのだ。
オペマの1台目は上の写真の右上にある顕微鏡モデルだった。
おもわず分かりもせずにレアものだと思い、手を出してしまった。
その後しばらくは遠ざかっていたが、格安の距離系なしを入手して以後、標準レンズは全て揃えようというので50mmOpenarF2, Berar F2.8とF3.5を購入。

結局、標準レンズ以外は買うことができなかった。特に30mm広角だけは入手したかったので、それだけは残念。

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opema 2, Openar 50mm F2, KODAK200

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Belarでの試写はしていないのだがOpenarでは1本だけ撮ってみた。
レンズの作りはかなり上質なアルミで同時代のライツのレンズにも劣らない。
写りの評判は芳しくなかったが、撮ってみたら色もいいし、写りもいい。ボケはあまり綺麗では無い感もあるがボケ老人ではないからレンズのボケ味は気にしないからこれでいい。

極少数だが熱烈なファンはいるようだが実際に使っている人をチェコでも日本でも見かけたことはない。フイルムサイズさえコダックサイズならもっとファンも増えただろうし、Lマウントと同じ39mmなのに、フランジバックが1mm短いという変なこだわりのあるレンズマウントがライカレンズファンも惹き付けることができなかった。

もっと使ってやりたいのだが、他のフイルムカメラさえ使っていない。
なにか精神を高揚するようなきっかけでもないだろうか。
プラハにいるときは、つまらないものを撮っていても楽しかったのだが。
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by shangkato2 | 2012-09-16 15:11 | 古機巡礼 | Comments(6)

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シュナイダーというレンズメーカーはどうもツアイスの廉価版というイメージが強い。
上のRolleiflex SL35なんかも標準レンズはプラナーかクセノンなんだがクセノンのほうが廉価版だったようだ。ローライ2眼もプラナー付きがもて栄やされ、クセノタール付きは見向きもされない。たしかにこのSL35用のプラナーも素晴らしいのだがクセノンもなかなかどうして硬派な描写をする。

知らない間にシュナイダー付きのカメラが増えていた。

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Rolleiflex SL35, Xenon 50mm F1.8, Provia

レチナの場合Ektarばかり注目されるがクセノンの写りが果たして悪い訳でもない。
レチナ自体の作りもドイツ黄金時代、1950年代のものだから作りはM3あたりと遜色ないし、これがズミクロンあたりと比べて悪い訳でもない。厳密に比べたって差が分かる人間などほとんどいないだろう。

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Retina2C, Xenon 50mm F2.8, FOMA100

Exakta VXを初めて買ったとき、同じカメラ市の会場で思わず外見に惚れて買ったのがCurtagon35mmだった。当初はその写りにあまり興味が持てなかったが、モノクロは端正な写りで悪くない。ただむしろこのレンズはその佇まいに惚れて持ち歩く方が多かった。ルックスでは35ミリ広角のなかでは一番格好よいと思っているので、手放せないでいる。

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Exakta VX, Curtagon 35mm F2.8, TX400

シュナイダーの中でもxenon は高級品、xenarは更に廉価版という感がある。
実際にそういう使い分けをメーカー自身もしているが、このPaxette用のxenarは違う。
むしろレチナのxenonよりも良いのではないだろうか。またその作りがアルミの固まりで格好が良い。
このxenarと匹敵するのはcontessaのテッサーしかない。


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Paxette, Xenar 50mm F2.8, AGFA Vista400

ライカやツアイスに比べれば、日本では不人気だが、実は結構侮れないレンズが多いシュナイダー。ライカ好きには周知のことだが、ズミルックスの原型になったのは、シュナイダーのxenonF1.5なのだ。50年代までライカはF1.5というレンズを作れなかったからシュナイダーに頼るしか無かった。それだけ技術力のあるメーカーだけに、ぜひとも現代レンズにも復活して欲しい。それも韓国なんかで作らないで、できればドイツ製で。

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by shangkato2 | 2012-09-10 23:36 | 古機巡礼 | Comments(9)

古機巡礼2 EXAKTA RTL1000

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カメラにはまり始めた当初、Exaktaにちょっとはまった。
安いし、レンズのヴァリエーションは多いし、手軽に遊ぶには良かったからだ。

しばらくして左で巻き上げするのが面倒になり、使いやすいExaktaということで、これを導入した。
当初、Oreston50mmの写りにはあまり興味が持てなかったので、買って早々にしばらく使わなくなった。あるとき29mmを見つけて試しに使ってみたら、これがその当時常用にしていたElmaritR28mmとも異なる個性的な写りでびっくしりした。

なにもライカやツアイスだけがドイツレンズではない。
むしろこのRTL用のメイヤーなんてのはライカなんかより名門で大判レンズなんかも作っているから悪い訳は無いのだ。

広角から望遠までラインナップも充実していて、写りも良いのに、こういうメーカーが消えてしまったのはいかにみ残念だ。極東のメーカーばかりでは世の中面白くない。
またライカ以外のドイツレンズが現れないだろうか。

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EKAKTA RTL1000, Oreston50mm F1.8.

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Orestegon29mm F2.8

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Primotar180mm, F3.5
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by shangkato2 | 2012-09-09 23:40 | 古機巡礼 | Comments(2)

帰り道に


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R4、Macro-elmarit-R 60mm, Provia

チェコでの格好の撮影ポイントの一つはプラハからピルゼンの往復の通勤路だった。
日本では考えられないダイナミックな風景や空に出会うことが多いので、毎日ではないが通勤車にカメラを入れておくことが多かった。
朝にそれほど余裕があることは無いが、帰り道は気軽に道ばたに停めて撮ることも可能だ。
特に帰り道はとりたてて急ぐ訳でもないので裏道を通ることが多く、その裏道が誰にも邪魔されずに撮影できるところでもあるのだ。

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R4、Elmarit-R135mm

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R4, Macro elmarit-R 60mm EBX

日本での生活との差は、そんな些細なことなのだが、それはどうやら重要なことなのらしい。


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by shangkato2 | 2012-09-08 00:23 | Leica R | Comments(8)

定番の被写体


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Flexaret3, Mirar80mm, Irford XP400

プラハにいるとき、カメラを買うと大抵は近所を撮り歩いた。
アンジェル(ANDEL)という地区の丘の中腹に住んでおり、丘の上まで長い坂があるのだが、その道沿いはかつてのプルジョア階級のお屋敷が残っていて格好の被写体となった。上のキッチュな建物もその一つ。またヴィシェフラッドを見渡せる眺めの良い、しかも決して観光客なんか来ない公園もその一つだった。

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Flexaret5, Belar 80mm, Reala100

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Flexaret6, Belar80mm , Reala100

また同じところに住みたいかと言われると疑問符だが、今思えば大事な空間だったのは確かだ。

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by shangkato2 | 2012-09-04 23:38 | FLEXARET | Comments(4)

夕日を追いかけて

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Rolleiflex SL35, Color Ultron 50mm F1.9, AGFA VISTA 400

ドレスデンからの帰り道。

国境を越えチェコ内に入り、山道を走っているとあまりにも夕日が綺麗で追いかけたくなった。
ちょっと横道をそれ、追いかける。

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どんどん奥に往く。
周りは畑だけが続く。

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気がつくと小さな集落があり行き止まりだった。
標準レンズしか持ってこなかったことを後悔しながら、フイルムカウンターを見ると残り1枚だけだった。


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by shangkato2 | 2012-09-03 22:57 | Rollei | Comments(8)

上海狂人日記  カメラ編   Flexaretのプリントを見て驚愕。 それからカメラ沼に嵌る。 日々是増殖中 目標100台達成!!!