Josef Koudelka展へ行く

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正月休み中に竹橋の近代美術館で開催中のJosef Koudelka展に行く。
ムハ展のような混み具合では無かったが、思ったより人はいた。

初期から最近のパノラマまで展示されていたが、やはり圧巻はジプシーと68年のプラハ侵攻を撮ったもの。初期の舞台写真は極端にコントラストを上げて芸術的にした写真など実験的なものが多かったが特に興味はなし。ジプシーCikaniは強烈。68年はチェコ人が見たプラハ侵攻を撮ったものということだけで貴重だが、この事件が普通に撮られていることが凄い。

ジプシーは帰国前に写真集を買ったが68年は探したが見つからなかった。
Foto Skodaで最近のパノラマ写真集はジプシーとどちらかを買うかで迷ったが結局ジプシーにした。今回の写真展でパノラマを見たが、比べればジプシーを買って正解。ただし、趣味としてパノラマを撮る人には、流石にパノラマ先駆者チェコ写真家だ。普通の人にジプシーのような写真は撮れないから、そのアプローチの仕方は参考になる。これから撮るならこういう写真だな。

Koudelka自身はこの写真展の準備のために夏頃、来日していたらしい。しかも神保町や小川町あたりをうろうろしていたそうだ。もしかしたらニアミスしてみたかもしれないこと考えると、一度会ってみたかった。

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by shangkato2 | 2014-01-14 22:16 | 街角スナップ | Comments(2)


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『95年4月、香港にて』


1997年7月、香港が中国に返還された。
その年の12月にはマカオが返還される。
香港とマカオの返還の経緯は異なるが、最後の植民地が中国に戻ることになった。

前年の1月に留学から戻り、中華街でアルバイトの傍ら就職活動をしていた。
留学経験を生かして中国に関係する仕事に就きたいと思いながら活動したが、なかなか希望に合うような仕事は見つかるものではなかった。
アルバイトしていた雑貨店に入居していた中国人の絨毯屋が良かったら一緒に働かないかと言われた。貿易関係の仕事がしたいので他に見つかるまでということで働かせてもらった。
どうしても中国に行くことが出来るような仕事がしたかったのだが、この仕事自体は面白いものだった。中国人と仕事することに多少躊躇はあったが、経営者の福建人兄弟の2人は、日本人との感覚の違いは当然あるが、意外に身内のように可愛がってくれた。

97年3月に某スーパーの子会社で中国専門商社に入社することが決まった。
これで中国に行けると、単純に考えていたが、そんな甘いものではなかった。
97年の香港返還をこの眼で見れるかなあと甘い期待をしていたが、この会社での地獄の2年間が始まった。

95年4月、留学先の友人と香港へ遊びに行くことにする。
当時香港中文大学に華人の友人が留学しているので、宿として招待所を紹介してもらうことにしたのだ。流石に名門大学の招待所。重慶マンションの安宿ほど安くはなかったが、清潔で良い宿だった。
実はその道中、広州と香港を結ぶ特急のホームでに艾敬(Ai Jing)という歌手に出会った。
彼女が歌った歌が『我的1997』という返還後の香港に行くことを夢見た歌だった。
清涼感のある歌声と日本にはいないプリミティブな魅力のある美人だった。
一緒に写った写真があったはずだが、どこにいったか皆目検討がつかない。

返還から既に16年が経過した。
見かけ上の香港は変わらないが、少しづつ中国化が進んでいるようだ。
2004年頃を最後に香港には行ってないが、当時より北京語が通じるようになっているそうだ。
当時は北京語で話しかけると馬鹿にされることも少なくなかったのだが面白いものだ。

ワタシの1997年は返還後の香港を訪ねるという夢は潰え、ただただ真夜中までの残業にいそしむ日々となった。チェコから帰国し2年ちょっと、上海から戻ってきた時も半年で日本に飽きてきたが、それよりは長い日数を日本に滞在している。
あまり長くいると日本に慣れてしまうので早いところ海外に出たい。
こういう時期だからやはり誰も行きたくない中国だろうか。

あの頃のプリミティブな中国はもうないだろうが、またいろいろ見てみたい。
今の中国もまた中国なのだから

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by shangkato2 | 2014-01-03 22:19 | Comments(4)

上海狂人日記  カメラ編   Flexaretのプリントを見て驚愕。 それからカメラ沼に嵌る。 日々是増殖中 目標100台達成!!!