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このカメラは古機というほど古いものではないが、すでに30年は経過しているからマニアでもない人には古いカメラと認識されるものだろう。

初めて買った本格的な一眼レフがRolleiflex SL35だった。
2週間くらいのうちにボディ2台と135ミリと200ミリを入手したが、その後なかなかこのマウントのカメラもレンズもあまり見かけることはなかった。

2010年の帰国のとき、ツアイス研究の大御所、竹田さんにこのSL2000fを譲って頂いた。
ほとんど使っていないので綺麗なものだった。
ただしばらく使うと、プラナーの絞りがちょっとおかしくなった。

このカメラを入手してチェコに戻ると、立て続けに35ミリと28ミリを入手した。
とくに35ミリ、ディスタゴンはお気に入りのレンズとなった。

甲高いシャッター音は意外に官能的でライカR4と並んで良く使うようになった。
できればもう1台同じボディか3000という後継機があるのでそれが欲しかったが、なかなか見つかるカメラでもなかった。そうはいってもSL35MもVoigtlander VSL3Eも持っていたので困ることは無かった。

フィルムバックの交換できるシステムということであれば当時と言わず現在でも進歩的なシステムであり、他のメーカーが真似せず、35ミリ一眼レフの形の主流にならなかったのは残念だ。この形が主流になれば1台のカメラでアナログとデジタルの共存が可能であったかもしれない。

独創的なカメラで、よくRolleiはこんな35ミリ一眼を考えだしたなあと思ったが、元ネタはZeissだそうだ、Zeissがカメラ事業から撤退する直前の1971年頃にProjekt2000というプロトタイプがあり、どうやらそのプロジェクトをRolleiが引き継いだようだ。

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そういえばオリンパスOMのプロトタイプもこういうタイプだった。
残念だがOMはあの普通の形だから普遍的な名機になれたのかもしれない。

もはやSL2000fにはカメラマニアの自己満足の道具でしかない。
しかしそういう存在も悪くはないのかもしれない。

1枚目の画像のグリップはたまたま訪れた千曲商会で見つけた。
もっと使いたいと思いながらも、その官能的な甲高いシャッター音は日本のような殺伐したところでは警戒されるだけなのでなかなか持ち出せないでいる。

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# by shangkato2 | 2012-11-11 23:02 | 古機巡礼 | Comments(4)

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プラハでカメラ買いにハマれば間違いなく田中長徳氏に行き着く。

カメラ買いを始めてから、しばらくするとチョートク先生なる写真家がアトリエを持つプラハに度々訪れカメラを買いあさっているようだと聞き及ぶ。
氏のブログを見つけ、プラハでのカメラ買いの『戦果』を拝見すると、眼を付けていたものをタッチの差で買われていたり、掘り出し物を見つけられているのを拝見した。
それ以来、めぼしいモノを見つけたときは躊躇わず買うことにした。

初めてお会いしたのは2009年の年末頃だったように記憶している。
ブルノ出張で帰りに寄ったカメラ屋で格安のKマウントのアンジェニューズームを手に入れたので、手頃なKマウントのカメラを探しにFOTO SKODAに言った時だった。
どこぞで見かけた記憶のある白髪の日本人。『さて、どこでお会いした人だったっけ?』と考えてみると、そういえばあのチョートク先生だ、というので物色中のチョートク氏に話しかけた。

この店で友人と待ち合わせということだったが、『今日はどんなカメラをお持ちですか』という季節の挨拶に、ローライ35とアンジェニューズームで挨拶返しをした。
そこでアンジェニューズームのいろいろなお話を伺っていると、ご友人(氏のエッセイでたびたび登場するプラハのP氏)が来られたので失礼することにした。

その時に名刺と来年向かいのカフェルチェルナで写真展を行うので是非とお誘いを受け、お別れした。
尊大な様子もなく気安く話しかけてくれる“カメラ好きの近所のオジサン”風だったが、実は隙のない目付きをしており、氏の同年代の人にはない緊張感をもっている。フリーの写真家でやっていくのはそれだけ毎日緊張感に包まれているのだろう。
本当はKGBのエージェントだったりするかもしれないが、本質をつきすぎると次回お会いした際にフォトスナイパーから実弾打たれる恐れがあるのでやめておく。

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個展の連絡をメールでも頂き、オープニングセレモニーがあるというので仕事帰りにピルゼンから向かった。到着するとセレモニー自体は既に終わっていたが、チョートク先生はまだおられたので小1時間ほどお話した。カメラの話というよりも、ワタシの業界の話になった。氏はヨコハマにある氷川丸の写真集を撮られていたり、意外に物流の業界に関わりが深く、ワタシのカメラ狂いの発端になった山縣氏とも懇意で、なかなか興味深い話が聞けた。
そのうちなにか会社関係の行事で写真のお仕事があれば頼むのも面白いかもしれない。

その後、2010年の冬、雪の降る中、氏の宿泊しているホテルの近くにあるビアパブでオフ会を行い、秘蔵のContax1のシルバーフェイクをお見せし、あまり実用にはなりませんけどね、という話をすると『こういうものは実用にならなくてよいんです』という含蓄のあるコメントを頂いた。

2011年、氏のご友人の土浦に住む写真家がプラハでパノラマ写真展を行うというので楽しみにしていたが、残念ながら帰国となってしまい、拝見できなかった。

帰国後、一度門前仲町のカフェですれ違ってご挨拶はしたが、なかなかプラハのように気軽にご一緒することもできずにいる。
カメラ買いと一緒でプラハにいるからできることが多いことに最近気づいた。
また、どこかの国に赴任したら、そこに現れた氏とビールでも飲みながらプラハ談義をするのが良いのかもしれない。

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プラハのパブでご一緒した帰りに雪道を登って行く氏の後ろ姿はなにかスデクがカメラ担いであるく後ろ姿に重なって見えた。

どちらもワタシにとっての師である。


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# by shangkato2 | 2012-11-04 14:20 | 古機巡礼 | Comments(6)

誰か買わないかなあ。

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Flexaret 6
4台あるので1台放出

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Contessa3姉妹
あまり興味ある人はいないかな。
zeiss最高のエントリーモデル

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Kiev3と4
3は露出計は動いてません。
4は一度シャッターオーバーホール済み。

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Contax3
露出計は動きません。
シャッターは動いてます。

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Topcon RE super
シャッターチャージレバーの感触はライカM3と双璧。
58mmF1.8の描写も繊細で良し。

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Zenit3M + 58mm F2 + 135mm F4
ソビエトカメラにしては良い作り。

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Retinaflex + Contaflex super
レンジシャッター一眼レフの最高峰
RetinaflexはRetinaと同感触。
Contaのテッサーは最高のテッサー。

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Koni Omegaflex
2眼界のラ王
こいつは高いよ。

ご希望の方は鍵コメへ。
それぞれバラ売りご免。
送料別。
手渡し可ならバラ売り考慮(東京23区)


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# by shangkato2 | 2012-10-21 21:48 | カメラ | Comments(11)

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Canon F-1, 50mm F1.4 SCC, Irford XP400

今日とある旅番組でアルベロベッロとアルザス、エギスハイムが紹介された。
どちらも行った街だった。前者では料理の量に圧倒された。後者はワインと花の街、美しい街だった。

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最近は綺麗な北京語を聞くとうっとりしてしまう。
フランス語が美しい言語と言われるが、やはり綺麗な北京語は一番美しい言語だと思う。

仕方が無いのでレンタルビデオ屋で中国の娯楽映画を借りて見ているが、CGの使い方がうまい。なんで日本の映画はあんなに下手なんだろう。日本人に美的感覚はないのではと思うくらい、日本のCGのレベルは低い。CGの技術力が低いのではない、その使い方が駄目なのだ。

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美的感覚、遊び感覚、その感覚に欠ける。
技術の日本、まだまだモノマネ中国なんかに負けるものか、と思っていたが。
なにか芸術気取りの映画ばかりで純粋に娯楽を楽しむ感覚に欠ける。
中国映画はハリウッドと張り合えるが、日本映画はおそらくこの先も無理だろう。


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# by shangkato2 | 2012-10-20 22:33 | Canon F-1 | Comments(2)

The ヨコハマ

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Sigma DP-1s, RAW現像

ヨコハマでの仕事帰り。
ちょうど夕日がいい具合に。

生まれ育った街だが、こういう風景は最近まで見たことが無かった。
去年ここで残業しながら、コーヒーブレイクに同じ場所の夜景を見ていた。

なにかむなしさを感じながらも日本に戻ってきてしまった実感が湧いた。

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# by shangkato2 | 2012-10-16 21:58 | Sigma DP1S | Comments(4)

古機巡礼 7 Leica DⅡ

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Leica D2, Voigtlander 15mm F4.5

2008年の夏。
プラハ郊外の蚤の市でライカDⅡを入手した。
Voigtlander 20mm,いわゆるコシナ製のLマウント付きだった。
手持ちの金との駆け引きでかなり安く入手した。
これが初めてのライカとなる。

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Jupiter8M

ライカ純正レンズは高いので自ずからソビエトレンズのお出ましとなる。

Jupiter8Mも蚤の市でジャンクのゾルキーを買ったときに付いてきたものだった。
Sonnarを祖とするから元の設計に間違いは無いし、オリジナルよりコーティングが進化しているから人民のための余所行き仕様としては間違いのないもの。
Induster22は見かけはエルマーだが、中身はテッサー。その描写も悪いはずもない。
それも当然のことで崇高なるソビエト連邦下の人民のためのカメラであるから、ブルジョアの玩具であるライカとは訳が違う。人民の幸福と真実を映し出すための道具であるから右派日和見主義であるエルマーなんかと比べてはいけない。
Jupiterは人民の上に君臨し、テッサーはその母たる国母、エルマーはたかだかテッサーのモノマネにすぎないのだ。

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Induster22

唯一所有の15ミリ超広角。
これはフォトシュコダで見つけたが、すぐに欲しくなった。
こういう広角がどういう絵を見せてくれるかも興味があったが、普段使いの28ミリくらいではチェコの風景を収めきれないという感もあったからだ。

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この広角で何を考えたか。
スデクのような写真を撮れないか、これをなんとかパノラマに展開できないかということ。

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とりあえず上下トリミングしてごまかした。
プラハにいる間にパノラマカメラを入手して撮ってやろうと思っていたが、結局叶わなかった。
もういくことはないと思うだけに、ただただ望郷の念がつのるだけである。

が、やはり行くなら中国だろう。
こんな時期だからこそ行ってみたい。
カメラをはじめてからの眼で中国を見てみたい。
ヨーロッパでは思わなかったが、中国なら、そのあたりの写真家では撮れないものも撮れる気がする。
なぜなら思い入れが違うから。

夢、中国を舞台にした歴史小説、挿絵ならぬ挿入写真を自分で撮る。
そうした本をいずれは出版したい。

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# by shangkato2 | 2012-10-13 22:39 | 古機巡礼 | Comments(7)

上海に赴任して半年。

ワタシの勤務する上海の西側の倉庫は街から離れているとはいっても、まだ上海の“西側”だった。
上海の黄浦江という川を挟んで西と東にわかれるので、浦西と浦東とそれぞれ呼ばれていた。
上海の西と東にそんな違いがあるかというと、昔は川の上流から死体が流れ着いたり、無縁仏を埋めるような土地だったということで東側は忌諱されていた。
それが浦東を政府が開発にするに従い、未来都市のようになっていき、万博がとどめを刺すように都会へと変貌をしたが、元から西側に住む人間からすれば悪い印象は拭えなかった。

会社には西側と東側とあると言ったが、東側は日本人は常駐しておらず、合弁先の運送会社から派遣された中国人T氏と日本語堪能なL氏が実質現場を率いていたのだが、そのL氏がO氏に愛想をつかして辞めることになった。いろいろいきさつはあったが結局辞めることになったため、そこにワタシが送られることになった。

元からO氏から、あそこは勝手なことしていると言われ、中国側合弁先から派遣されていたT氏なんてのは諸悪のの権現みたいに言われていたので、移動することに大変不安を持った。

しばらくは警戒しながら東側のスタッフ達とつきあっていたが、だんだん打ち解けて行くとO氏が言っていることと正反対で、特にワタシと一回りくらい年のちがうT氏はワタシを弟のように可愛がってくれた。
T氏は人民解放軍の補給部隊で従軍経験があり、その際に爆発事故に巻き込まれ、足に軽微ながら障害を残すことになったが、軍の福利には手厚い中国のこと、彼の持つ障害者手帳があれば飛行機とタクシー以外の公共機関はただで乗れ、通院も無料だということだったが、彼はそれを気にする風でもなく陽気に語っていた。

たった半年の付き合いだったが、数十年を共に過ごしてきたように思えた。
ワタシは2001年早々に会社を辞めたが、そのT氏もしばらくすると、先に辞めていたL氏と会社を作り、会社を辞めた。そのかわり彼はその東側の会社のスタッフを根こそぎ連れて行った。

会社を辞めても付き合いは続き、チェコに赴任してから、一度連絡をした。
2年くらい前にO氏と一緒に新しい会社をやっているL氏に連絡をするとO氏は亡くなったということだった。癌だった。亡くなる数年前に癌で入院したと聞いたが手術に成功し元気にやっていると聞いていたし、一緒に働いていたころの底抜けに明るい彼の笑顔が脳裏にあったから俄に信じることはできなかった。

そのメールを見ながら、しばらく涙が止まらなかった。

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# by shangkato2 | 2012-10-08 22:51 | 雑記 | Comments(2)

“小さな秋”

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Voigtlander VSL-3E, color-ultron 50mm, AGFA Precisa

ヨーロッパの秋はそれほど美しくない。
日本のように紅葉にはならず、葉が黄色くなってしまう黄葉になってしまうからだ。
でも自然が多いから身近に感じることができる。

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待望の日本の秋だったが、わざわざ出かけて行かないと秋を感じることができない。
もっと四季を感じることができる国だと思っていたが。

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Leica R4, Valio-elmar 35-70, Provia F

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季節が極端で、あっという間に夏が終わり、短い秋が来たと思ったら、長い冬。
日本の四季が一番と思っていたが、季節というのはそれぞれなんだ、そんな単純なことに今頃気づいた。

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Leica R4, Elmarit-R 135mm, Kodak Elite-color

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Leica R4, Vario-elmar 35-70mm, Kodak Elite-color


でもやっぱり秋はこれかな。


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Leica R4,Vario-elmar 35-70mm, Fujicolor X−tra 400

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# by shangkato2 | 2012-10-07 12:35 | 街角スナップ | Comments(6)

前に書いた上海で働いていた会社でのこと。

ワタシの前任は60代の男性だった。東さん(仮名)とする。
彼の契約が切れるから後任ということらしかったが、実質はクビも同然だった。
責任者のO氏とその頃某大手商社から出向で来ていた若い男性のA氏がワタシの上司だったのだが、2人からは、その東さんは相当ひどい人で、仕事中には居眠りするし、仕事もミスが多いといわれた。

1ヶ月弱、彼と引き継ぎを始めた。
普通の人の良い関西のおじさんで、自分がクビになるということも理解していないんじゃないだろうかと思えるほど明るい人だった。
朝は7時には会社に行き、シャッターを開けて作業員が来るのを待っている。愛想の良いオジサンだから、会社のあった物流センターの中国人の警備員や食堂のオジサンらにも好かれている、本当に良い人だった。
たしかに昼飯を食べ3時頃になると自分の机で、こっくりこっくり居眠りを始める。周りの中国人も“おじいちゃんだから仕方ないね”と微笑ましく眺めている。

だが実はそこに落とし穴があった。

会社に30歳くらいの女性がいた。Zさん。
嫌みなくらい色気のある女性で、日本語も話せるのだが、あまったるい猫なで声で、あまり好感が持てるものではなかったが、愛想と男の扱いはうまいので、嫌悪するまでには至らなかった。
入社して1ヶ月ほどして教えてもらったのだが彼女の正体は責任者のO氏の愛人だった。
数年前にとあるナイトクラブで常連客となり、ねんごろになったらしい。周りの社員もプライベートには口を出さなかったが、ある時中国人の幹部たちに、その女性を会社に置きたいと言ったらしい。

もちろん周りは大反対。プライベートでいくら女遊びしても構わないが、会社には持ち込まないでくれという懇願も聞き遂げられず、無理矢理入社させてしまったそうだ。
流石にワタシが入社した頃はなかったが、そのZさんは、当初は夜の世界と二足の草鞋だったため、朝出社すると昨晩にお客さんから貰ったチップの束を、自分の席で数え始め、満足すると、そのまま座席で居眠りしてしまったそうだ。

O氏はちょっと変態的な性癖を持っていた。
女性との営みを隠れて録音する。そしてそれを後で楽しむ。

ある時宿泊先のホテルでO氏とZさんの営み中、やはり隠れて録音をしていたら、Zさんに見つかってしまった。その後のZさんは発狂し、O氏の顔面をひっかきむしり、ホテルの窓を開けて自殺騒ぎを起こすし、とうとうO氏もどうにもならなくなり、彼の片腕だったP氏に助けを求めた。

翌朝、顔を傷だらけにしたO氏と笑みを浮かべながら出社してくるP氏の姿があったそうだ。
それからO氏はP氏に頭があがらなくなり、彼の専横を許すことになる。
P氏もかしこい人だから、うまくO氏を上に立てながら自分の都合の良いように会社を仕切って行く。

こうした人たちが社内にいるのだ。
要はO氏は子飼の中国人に他の社員をスパイさせているということだ。表では微笑ましく年寄りの居眠りを見ながら、裏ではその居眠りを糾弾する。
更にずる賢いのは、日本人に大しては中国人はちゃんと仕事をしない、だからお前ら日本人を置いているんだ、きちんと監視しておけ。
O氏というのは社員同士をあまり仲良くさせない。お互いを反発させながら、そのバランスの上で、自分はうまく会社を経営していると思っているような人だったのだ。

彼の方針に反発して本当に優秀なスタッフがたくさん辞めていった。それは日本人だけではなく中国人もそうだ。ある意味経営というのはそういうところもあるかもしれないが、やり方が露骨で、幼稚なため、自分より優秀だったり、自分の存在感を無視するような存在にであうと、とことんつぶそうとする。

ワタシの世界もこういう要素がパズルのように一部を構成している。
そうしたパズルを組み立てて行ったとき、本当に全てのパズルが綺麗にハマるのか、それとも行き詰まってしまうのか。



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# by shangkato2 | 2012-10-06 10:43 | 雑記 | Comments(2)

上海駐在闘争記

忌まわしい最初の会社をアテも無く辞めた。
かみさんに苦労を掛けたが、彼女も共働きだったから、なんとか食いつなぐことはできた。
半年くらい就職活動とアルバイトを続けた。
なかなか次の会社は見つからない。
アルバイトもいろいろやった、パン工場、ベアリング工場の検品、経理助手などなど。

職安にも行ったがあそこでは碌な仕事は紹介してくれない。必要以上に野心をもつことも許されないし、自分の能力以上の会社に挑戦するなんてもってのほか。
面白い求人なんて見つからないので民間のリクルート会社で探すことにした。

ようやく静岡の会社で上海勤務の仕事を見つけた。
新横浜の駅で会社の専務で実質責任者だという人に面接され、やる気さえあればいつでも来なさいといわれた。念願の上海勤務、普通の会社の中国駐在よりは条件も悪いし、1年契約の社員だから怖さもあったが飛び込むことにした。

しかしこの会社もあとあと苦労することになる。その専務(O氏)というのがくせ者だったのだ。結果から言うと99年10月入社し2001年1月付けで退職することになる。

赴任した会社は物流会社で中国内のトラック輸送と倉庫での物流加工業務をメインとする会社だ。上海市内に2カ所倉庫があり、上海の西側と浦東地区、万博会場の近くで、当初は西側の倉庫に常駐した。途中で浦東地区に移るのだが、あるとき某大手商社を辞めてやってきた人が来た。

その人をN氏ということにしよう。N氏は多忙なO氏の代わりに上海会社の社長代行をつとめた。中国語も堪能、繊維関連のプロでワタシが当時行っていたアパレルの検品業務には頼れる上司となった。
しかしそれがいけなかった。
N氏は勝ち気な人で、しばらくしてO氏と決裂してしまう。
ワタシは威張るだけで威圧的なO氏より頼れるN氏寄りだったが、N氏もとうとうO氏に愛想をつかして辞めてしまったので拠り所がなくなってしまった。

ワタシとしては異国の地で辞める訳にもいかず、N氏よりの姿勢を責められながらしばらく過ごすが、そんなところにいつまでもいる気もなく、現地で別の会社に転職することになった。
その会社では5年勤め、仕事には不満は無かったが、そろそろ日本に帰ろうというので、円満退社して今に至る。

この会社で勤めたのは1年少々だったが10年働いたくらい濃厚な期間だった。
O氏やその取り巻きの中国人、愛想尽くして辞めて行った人たち、後々まで苦労を共にした仲間達、その愛憎劇はドラマになるくらい面白いものだが、その話はいずれ書きたいと思う。

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# by shangkato2 | 2012-10-01 23:44 | 雑記 | Comments(4)

『中国てなもんや商社』という小説がある。



とあるOLの奮闘記なのだが、日本と中国の文化的違いを表現しているだけではなく、そこで働く個性的な人物達との物語でもある。

実はそのモデルになった会社で働いていた。

小説で“パンダ課長”ということで出てきた“王課長”は当時ワタシの在籍していた部の部長。乱暴者だが便りになる岩田課長、彼は入社早々のワタシの上司だった。

留学先の中国から帰国し、しばらくは中華街でアルバイトしたり、中国人の手先として働いたり。思えばそれでも良かったかもしれないが、中華街の仕事は腰掛けと思っていたから、働きながらいろいろ就職活動をしていた。

その中国人の手先として働いて半年くらいして、某大手スーパーの子会社で中国専門の商社の人材募集を見つけた。早速応募し訪問すると、その日は4名が面接ということで浜松町の、某大手スーパー本社の前にあるビルの地下室で面接まで待たされることになった。

面接の4名の内、もう1名と面接までの間一緒に待ち時間を過ごした。
話をしていたら、彼はちょうどワタシと同じ時期に雲南省を旅行しており、96年の大地震の時に麗江にいたというから、同時期に大理で地震を感じた時に同時期にいたということだ。

入社が決まって出社したが、その彼の姿を見ることは無かった。

入社してすぐに受け渡し課という部署に配属された。
この部署は商社の海外貿易の実務窓口で、物流会社との窓口をする部署だった。
その部署の責任者が『てなもんしゃ商社』の岩田課長であり、M部長だった。
小説では多少まろやかに表現されているが、酒癖の悪い人で新入社員を酒に誘っては、その洗礼を浴びせることに快感を覚えているような人だった。というよりその余裕が持てない新入社員の頃はそう思うより仕方が無かった。なんどか彼の得意な少林寺拳法のパンチが側面の壁に炸裂するのを見ることになる。

3週間程度の勤務の後、営業部門に配属された。
アパレル部門でインンーウェア、簡単に言えばパジャマや部屋着、パンツやトランクスなどを扱う部署だった。その中でのニット部門で仕事することになった。直属の上司は1歳上の男性だった。
それがワタシの地獄の日々の始まりだった。

97年3月に入社し、4月に営業部門に配属、99年3月に退職した。

配属当初はまだ良かった。数ヶ月すると、その部署ではPM21時以降にならないと帰ることは出来ないことに気づくことになる。PM8:00をすぎると、その直属の上司の愚痴といびりが始まる。それをバックミュージックとしながら終電近くまで仕事を黙々とする。あるときは終電にも間に合わず、他部署の人の家族が迎えにきたので途中まで送ってもらうこともあった。

退職後聞いたことだが、他部署の人がワタシの直属上司に『なんであいつにそこまでするんだ』と聞いたそうだ。そうすると彼は『あいつは仕事もできない癖に周りの人に(特に女性)可愛がられている、それがむかつくから当たるんだ』と。それを聞いて辞めて良かったと思った。

ある時その会社の非常階段。忘れもしない6階。その非常階段から、ぼーっと下の地面を見つめると、アスファルトの道路の皺がひとつひとつくっきり見えた。『あーこのままあそこに飛び降りてもいいか』。

98年10月、結婚し、その前の8月に部署移動となったが、あまり居心地が良い会社ではない。精神的にいたたまれなくなり99年3月に退社することになった。

小説『てなもんや商社』は映画化もされ、主役は小林聡美、上記した王課長は、実際の人物とは見た目が全然違うが今をトキメク渡辺謙。娯楽映画としてそこそこヒットしたようだが、ワタシにとっては悪夢の日々だった。
今でも付き合いのある人がいるのは、そうは言っても中国好きな個性的な人がいたということでもある。まだこの会社は存続するが、在籍した頃からは規模も3分の1まで縮小されている。親会社のスーパー自体もじり貧の状態でもある。

またこの会社の人たちとあってみたい気はある。
個性で言えば今の会社の人たちとの比ではない。当時のワタシのスキルが足りなかったのだ。
連絡つかなくなった華僑のZさん、新潟でバーを営むAさん、、、

だが、あの直属の上司だけは今でも許すことはできない。いやサラリーマン的には仕方ないことだと思うが、感情的に許せないだけ。たぶん再会したとしても友好的に話はできないと思う。

それでも一度は会ってみたい気はある。
どんな顔してどんな話ができるのか。
なぜだか分からない。
彼とも、いまだからなにか話せるのかもしれない。

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# by shangkato2 | 2012-09-30 23:52 | 雑記 | Comments(8)

我愛北京天安門

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*写真は今年友人が北京旅行してオリンパスPENで撮ったものである。


北京はワタシにとって大事な街である。

初めて暮らした海外だった。
よく考えれば実家を離れて暮らすのも初めてだった。

なんとなく教員試験を受け、漠然とマスコミでもと新聞社を数社受験したが、そんな適当で受かる訳も無く、来年大学院でも受けようと思いながら94年大学を卒業して、友人の紹介で中国書籍専門店でアルバイトを始めることにした。

仕事は本の在庫管理。営業から回ってきた伝票を元に、倉庫に行き営業に直接回したり、客先に発送したり、元から本も好きだし、好きな中国の仕事だから、このままこの会社で働き続けても良いかなあと思いながら、若かりし頃の勘違いで、こんなつまらない仕事で終わってはいけないと一方では思っていた。

アルバイトしながら大学の中国語授業や大学院の授業に潜り込んで勉強していたが、このまま大学院に行くとしても、生の中国を感じてみたいと思い、母校の先生に話してみると、北京の大学に知人がいるからどうだ?と言われ、ちょっと考えたが、お願いすることにした。

卒業直後に卒業旅行と称し、2週間ほど上海に旅行した際に宿泊したのが復旦大学だったこともあり、その際に知り合った方に留学したかったら相談にのるとも言われていたが、語学を勉強するという目的からすれば北京がいいだろう。

留学先は中央民俗大学。55の少数民族のための高等教育機関。天安門事件でリーダー格だったウアルカイシの友人が多く在籍していたそうだ。

大学の先生に紹介書を書いてもらい、入学申し込みを進めたのが、その7月末。そこから北京渡航する9月初までの1ヶ月間、なにをしていたかほとんど記憶が無い。

覚えているのは北京の空港に到着した後からのこと。そこからの記憶が濃厚に残っている。

薄暗い照明の、薄汚れた空港で到着したのは確か夜の10時くらい。白タクの誘いに注意しながらタクシー乗り場へ向かい、真っ赤なシャレードに乗り込む。
なぜか助手席にも誰か乗り込んできた。なにかヤバそうな雰囲気も感じながら、タクシーは市内に向かって行く。北京空港は市内からタクシーでも40分くらいかかる。暗い高速を走りながら、タクシーはすきま風を吹き込みながら環状線をおり、10分くらいで大学の正門についた。

小雨が降っていた。正門に到着しても、既に夜11時。
どこになにがあるかもわからないので門番のおにーちゃんに聞いてみることにした。
こちらもほとんど中国語はできないが、おにーちゃんは親切に留学生寮まで連れて行ってくれ、住み込みの担当事務官に話をしてくれた。

まだこれだけでは終わらなかった。
担当官はそんな留学生が来るなんて聞いていないと言う。それに部屋も空いていないとまで言うのだ。途方に暮れたが、とりあえずということで寮の入り口付近の部屋に住んでいる韓国人の大学院生と話をしてくれ、彼の部屋にとりあえず泊めてもらうことにした。

韓国人の院生は韓国人にありがちな横柄さはなく、温和で優しい人だった。
もし空き部屋が見つからなかったら、僕の部屋で同居でも良いよ、と言ってくれた。
中国の留学生寮は基本は2人部屋なのだが、院生は1人部屋が持てる。もちろんお金を出せば1人部屋でもいいのだが、空き部屋も無いので1人部屋にできるのは、院生とか年配の留学生くらいだった。

翌日事務官がいろいろ話をしてくれ、大阪外語の同い年のU君と同居することになり落ち着くことが出来た。

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いまさら何を思い出話をするのか。
中国も韓国も戦後最悪の関係になっている。もちろん人間の感情だから、こうした事情で悪感情になってしまうのは仕方が無い。だがワタシはいまでも中国が好きだし、あの時親切にしてくれた門番のおにーちゃんや韓国人のことは忘れない。これまで韓国人は政治問題を対人関係に持ち込むが、中国人はそうでもないと思っていた。たしかにその点では裏切られた感もないではない。しかしそうした連中の影に冷静に日中関係を、日韓関係を考える人はいるものだ。

“信用はしないが信頼はする”と言った人がいた。
対日本人だって100%信用できる人なんていない。ましてや外国人にたいしては信用して裏切られたからといって、それを責めることはできない。
だが人間関係は信頼関係で成り立つ。
国籍の違いで信頼関係が成り立たないなんてこともないのだ。

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この最悪の日中関係。逆にこれはチャンスだと思う。
もしこの期間をしのげば必ず好転する。
誰も中国に行きたくないならワタシが行こう。
実はこういう日中関係になってワクワクしている。
中国史を勉強しようと思ったのも受験生の頃に見た天安門事件の中国人の大きなエネルギーを感じたからだ。
ここ数年ヨーロッパかぶれのようになっていたがワタシの本質は中国なのだ。

北京がワタシにとって大事な理由。
もう一つあった。

かみさんと出会ったのがこの街なのである。

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# by shangkato2 | 2012-09-29 12:17 | 雑記 | Comments(9)

上海狂人日記  カメラ編   Flexaretのプリントを見て驚愕。 それからカメラ沼に嵌る。 日々是増殖中 目標100台達成!!!